第三話 【道中、黄昏の闇】


 多少の揺れと、稼動音。鬼退治の間で最も親しまれる移動手段"人力車"のものである。
 サツキとミツリ、二人とその荷物を乗せて現在一時間ほど走り続けている。 運転手はその間ずっとサツキやミツリと話をしながら走り続けているのだが、息切れひとつしない。 それは体を鍛えているからだとか、そういう問題ではないらしく、 彼ら人力車の運転手は体を強靭に改造されているからだと言った。
「俺もね、もともと"欠けた者"ってヤツでねえ。本当は右の腕一本まるまる無かったんだぜ」
「マジすか」
「マジも大マジよぉ。十五ン時にこの仕事就こうと思ってなぁ。人力車の小屋行って手術したら、 本物同然の右腕がそこにあるんだから、夢みてえな気分だったぜ」
「へえ、腕なんて生えちゃうんですねえ?」
 ミツリの言葉に運転手はスゲーよなあ。と笑った。
「でもこの腕の中身考えてみろよ。他とおんなじ血と肉と骨じゃなくて、 なんかワケわかんねえような機械仕掛けなんだぜ? ちょっと怖いよなぁ」
 運転手の言葉にミツリが声を詰まらせる。こういう場合、何を言えばいいのかがわからない。という目。 黙ってしまったミツリの様子に、運転手は自分の発言によるものだと気づくのに数秒もかからなかった。
「あァ、あの、気にすることじゃあねえよ。すまねえな。変なこと言っちまってよ」
「いえ……、私のほうこそ、軽々しく」
 すみません。と素直に謝ったミツリに、さらに運転手は動揺してしまう。 サツキは聞こえないように溜息をついた。――みんな、口に出すからそうなるのだ。と。
「運転手さん。前、人力車来てますよ」
「おっと! 悪ィ悪ィ。よそ見してお客ケガさせちゃあいけねえもんな」
 すこし揺れるぜ、と断って運転手はできるだけ軽い衝撃で済むように左にそれる。 前方からの人力車も同じように反対にそれる。運転手同士がすこし会釈をして通り過ぎる。
「ふう、教えてくれてありがとよ。おかげで事故らなくて済んだぜ」
「いえ」
 こちらはこちらで会釈をする。運転手も振り向きさえしないがサツキに対してであろう、もう一度軽く会釈。 それをミツリが、すこし不思議そうに見やる。 どうした、と訊くと、見えてもないのに会釈するのね、というものだから困った。 それが当たり前だと、サツキも運転手も思っていたからである。
「私が住んでいた村は、きっとすこし風習が違うのね。……ホラ、私の一族は、西洋文化の影響を受けてるから」
「そういえばそうだったな。……それにしたって」
 ああ……、と一人うなだれるサツキに、ミツリも運転手も頭の上に疑問符を浮かべた。
「なあに? どうしたの?」
「必要最低限のこと以外知らない相手と、何故俺は一緒に遠征に出ているのか、と思ってな……」
「だって、あなたのお師匠さまが言ったんじゃない」
「それはそうだが。どうもあの人にいいようにされている気がしてならない」
「え、でも、遠征は一人じゃできないよ?  いい経験もできて、その上報酬もたくさんなんだし、いいんじゃないかな?」
「ぬ……確かに、それはいいかも知れないが」
 そうだよなあ報酬はかなりはずむんだよなあひとりの時の三倍だもんなあ、とサツキはまたうなだれる。
「サツキ……、なにか買いたい高価な物でもあるの? それともその歳ですでに借金!?」
「違う! ただ、サイフに余裕がある状態が好きなだけだ!」
「あ、そうなの?」
 でもそんなに気にすると老けるよ? と言う。その言葉にサツキがカチンと来たのは言うまでもないだろう。
「まだ成長期真っ最中――……というか本当に成長期なのかさえ不安だが……イヤ違う俺が言いたいのはそこじゃない。 こ、こんな時から老けてたまるか!」
「デスヨネー」
 ころころと可愛らしい声で笑われ、冗談に本気で食い下がった、という状況のサツキは黙るしかない。
「あっはは! サツキもまだまだ子どもなのねー、ていうかまだ十三歳だもんねー。ねー」
 なかなかにムカつく女である。自分の物言いも相当辛辣だとは自負しているが、 会って間もない相手にここまでヒドイことを言うのはこのミツリという女が相当ひんまがっているからなのか、 それともまったく遠慮を知らないからなのかはわからない。サツキはまたうなだれた。
 ――すくなくとも、こんな女と一週間一緒なのか……。
 そんな心の声が、未だ鈴の音のような笑い声を上げているミツリに届くはずもなかった。

 のどかな旅路も終わり、賑やかな街並みの中、運賃を払ったのはすでに夕方になってからであった。
 降りるやいなや、ミツリの姿は消えてしまい、 割り勘であったはずの運賃は、すべてサツキのサイフから出ていくこととなった。 ヒビノマルから、旅費はガッツリ貰っていたので、サイフ内の理想金額は下回らないけれど、 なんだかサツキはいたたまれない。……理由はわかりきっているのだが。
 ミツリには遠慮もなにもなかったからである。
「くっそあの女……。戻ってきたら、サイフごと金ブン取ってやる……」
「おお、おっかないコト言うねェ」
 独り言が運転手に聞き取られ、すこし部が悪くなったサツキはうつむく。 サツキには話題を変える、というスキルがないのだ。おかげでさらに気まずくなる。
 次に何を言えばいいだろうか、サツキの思考は焦りににじんでいたが、その焦りも思考ごと、掻き消えた。
 女性の悲鳴が、広場に響き渡ったからである。
 その声に、ざわりと広場が粟立つ。ひりひりと肌が痛むような空気。不穏な気配が広場を覆った。 ざわめきは、信号の向こう側へも瞬く間に広がる。――頭の悪い大人たちが騒ぎだした。
「なんだ?」
 怪訝そうな運転手の声を後ろに聞き、サツキはできるだけよく通るように叫んだ。
「皆々様お静まりください! 何事が起こりましたか!」
 声に、一瞬広場は静まる。サツキを四方八方から凝視する視線が痛かった。だけれどそんなこと構っていられない。
「なんだ、鬼退治か……」
 溜息まじりに、そしていかにも不満そうな声が聞こえた。 だがそんなことなど慣れっこのサツキには、そのような言葉などキキの切れ味に鈍りひとつ起こさせない。
 あたりを見回すと、サツキより前にいる者はもういなかった。 駅側に数十人、弧を描くようにサツキの後ろにひしめく。 信号の向こう側には、進めの記号になっても道路を渡らぬ人だかりが、これまた弧を描くようにできていた。
 そしてその弧の中心には、ひとつ、黒い塊がある。このざわめきの原因。

 ――鬼、だ。
 サツキはゆっくりとキキを抜く。背中にくくりつけた紐は、足元にするすると落ちる。
 落ちきる前に、サツキはその巨大な闇に走った。

 大きな鬼だった。小さな民家ほどの幅に高さ。今まで目にした鬼の中で、おそらく最大だろう。
 だからなんだというのだ。
 鬼から発せられる音は何故だか幾重にも反響しているようで、 そこも不可解だったけれど、サツキは迷いなくキキを鬼へと叩きこむ。ぶるりと、鬼全体が震えた。
「惜惜惜惜!」
 やはり反響するような音を発し、鬼は震え、サツキが切り込んだ箇所を修復せんとする。 させまいと、サツキは同じ場所に斬り込む。手ごたえはあった。――けれど、
「え……」
 地面が見えるところまで斬り込んだ鬼はポコポコと泡を作ってゆくようにいくつもの小さな鬼へと変化していったのだ。 斬れども斬れども鬼は増え、サツキを取り囲むように闇が広がった。
「なんなんだ。この、鬼……!」
 ざくり、ざくり。鬼の闇を振り払うようにキキを振りまわすが、鬼は増える一方だ。 サツキは慣れない闇の中、顔をしかめて呻いた。鬼のいくつかが体にまとわりつく。 何か所かに、鈍器で殴られたような衝撃を感じた。 焦りと痛みは刃を鈍らせる。ついに鬼に死角を取られ、キキを取り落としてしまうのだった。
 ニヤリ、顔のような影が、笑った。
 一歩遅れてキキを構えなおす。だが遅い。
 鬼の影が、黒光りする棍棒のように形を変えて、サツキを横に吹っ飛ばした!
「ぐあっ……!」
 数秒宙を一直線に飛ぶ。ぐらりと軌道が下へ傾いて左半身を地面に打ちつけ、さらに数秒。
 血の匂いがする。おそらくサツキ自身のもの。夕陽が見えるということは、ここは鬼の外だろう。
「ふざけた真似を……!」
 サツキはすぐに起き上がり、血を拭う。白い衣が赤黒く染まる。――気にしてられるか。
 鬼を見れば、また塊になって顔のような影で笑顔をつくっていた。感情表現など、生き物でもあるまいに!  震えたサツキの喉に答えるように、真横を何かが通り過ぎる。振り返るとミツリがいた。
「ごめんなさい、サツキ! 加勢します!」
 指を胸元で組み、西洋式の祈りのポーズをとる。なにかを呟くが、聞こえない。 鬼へ魔術をかけているのはわかった。鬼が叫びを上げる。苦しげな声は、幾重にも反響した。
「憐みを与えなさい! ――ティア!」
 全てをまき散らす爆発のようにも、全てを包囲する重圧のようにも感じる"力"が、闇を削いだ。

 また振り返る。ミツリは言った。
「一緒に戦うわ!」
 それにサツキは、首を振った。




道中、つなぎの話です。私は基本的につなぎの話で詰みます