第四話 【誰そ彼の已み】


 もう陽も傾いて、あと少しで世界は闇に包まれる。彼が相手をするべき相手とは違う、物理的な闇に。
 彼はそんな世界で、足を止めた。遠く、大きな交差点に人だかりが見えたのだ。 もちろんそれだけで不思議がるほどの田舎者なわけではない。その中心、それか奥の方から光が漏れていた。 電気や、自然現象の光とは違う。あれは魔術を発動するときに起こる光だと見て取れた。
 ――鬼でも出たか?
 人気が多い場所での鬼の発生は、ごくごく稀……という程でもないがあまりない。 多くは政府の魔術師が張った結界に守られているからである。この街もそうだと思っていた。
「っかしいなァ……。手抜きでもしたんかいな?」
 誰に問うでもなく、独り言として発した言葉は、ガソリンの匂いを帯びた風にさらわれた。
 なんとはなしに彼の足は人だかりに向かう。 それなりにあった、鬼退治であるという義務感と、野次馬根性に因っての行動だった。


 簡単に破けた。
 着ていた着物が、そしてその下の二の腕が。
 血を噴き出しても気にならなくなっていた。ただ――使わない右手でよかった。その程度しか思わない。
 かわりに後ろから喚き声が聞こえる。鬼を滅しそこなっただろうか。 サツキはそう思うが、目の前の鬼"たち"と斬り結ぶためには後ろを向いてはいられない。仕方なしに聞き耳を立てる。
 声は人間のものだった。
「サツキ! やめて! 体中傷だらけなのに!」
「おい、やめとけ! どうせ"欠けた者"だ。君も下がってないと巻き込まれるぞ!」
「私だって鬼退治です! ――サツキ! せめて、回復だけでも!」
 ミツリの声と、一般人の声。他に聞こえるのは一般人と騒ぎを聞いてやってきた野次馬あたりであろう。 野次馬の声は皮肉気に同情を上乗せしたような。回復を促すミツリの声はまるで悲鳴のようだ。
 だからどうしたという。
 回復なんて受けていたら攻撃が鈍るし、それは鬼をすべて滅してからでいい。問題ない。
 サツキはキキを握りなおす。鉄の味が口の中に広がる。そうだ、そんなもの関係ない。 サツキはひとりで戦っているのだから。自分がどうなろうと、何があろうと、鬼を滅するのみ。

 キキを、時には槍のように、矛のように、棍棒のように振りまわし、鬼をなぎ倒す。 それをするたびにサツキは気が遠くなっていった。頭に血が上るような、はたまた心臓に血がたまるような。 暑いような寒いような。この感覚は、いつも戦いの終盤に近づくと感じる。
 動きを止めれば、この感覚は抜けて行く。
 治癒をすれば、この感覚は共に薄れる。
 痛みだとか、死だとか。そういうものと隣合わせの感覚。臨場感。――いうなれば、昂ぶり。だろうか。
 この感覚を無くしてしまえば、確実に追い込まれる。 周りの人間が鬼に喰われようが知ったことではないけれど、義務を……仕事を、まっとうできないのは嫌だった。 サツキはキキを逆手に持ちかえて、意識を研ぎ澄ました。
「追い込み、染まるがいい……」
 体からあふれ出る黒い"気"は、まるで墨が広がるように、鬼を、サツキを、包んで行く。


 騒ぎの原因はやはり鬼で、ひとりの少年が退治しているらしかった。 見ると、本当にたったひとり。やけに数の多い小さな鬼に囲まれ、体格に似合わぬ巨刀を振りまわしている。
 戦い方を見る限りは、単独戦に慣れていると見て取れる。けれど、それにしては顧み無さ過ぎではなかろうか。 体中から血がほとばしっているように見える。完全に無事なのは主に刀を操る左手くらい。
 しばらく戦い方を見ていて、少年の趣向が見えてきた。
「あァ、特攻タイプやねェ」
 趣向と言うべきか、そこはなんとも言えないけれど、その少年はまったく避けようとも、防ごうともしない。 眼球が乾いてしまうだろうに、ずっと眼をかっぴらいて刀を振り続ける。 息継もしていないのではないかと思ってしまうほどである。
「俺やったら、そこに回復係置くんやけどなァ……。アホやな、あのガキ」
 つぶやきを独り言として片付け、周囲を見回す。その少年に向けられた視線には、憐みと皮肉と蔑みが感じられる。 全て、中年以降の大人のものだ。
 ――ヘッ、反吐が出んな。
 声には出さないでおく。いさかいを作る必要なんてないからだ。彼はあの少年のように無茶ではない。
 ――俺ら、鬼退治が守ってるから平和でいられんのによ。デッケェ態度で高みの見物かっちゅーに。 ほんま、反吐が出る。―― せやけど、あのガキもアホやねェ。こないな人でなしのために、アホな戦い方しおってからに。 死んでしもたら何もできへんやんか。
 彼は冷めたまなざしを、大人たちと、そして少年に向けた。少年はその視線に気づいただろうか。 大人たちは気配さえ感じていないだろう。まるで何かのニュース映像を見るような視線を少年に送り続ける。
「サツキ!」
 少女の声が聞こえる。どうやらその名は少年のもののようで、少女は懸命に声を張り上げる。
「サツキ! お願いよ! 回復の許可を……!」
 声の主の姿は見えない。おそらく少女が小柄なのだろう。 大人たちに紛れて声を張り上げる女の姿はまったく見えていない。 言葉からして、彼女は契約型魔術師のようだ。 契約型の回復魔術は、威力は大きいが魔術を施す相手の許可を得なければ使う事ができないから。
 ――呆れた。
 回復役がいるというのに、わざわざ傷を負いながら戦っているというのか。
 単独で鬼退治を行うというのは"欠けた者"にはよくあることで、そうそう不思議ではなかったのだが。 もしかしたらあのサツキという少年は、痛みを快楽とする人間なのやもしれない。 という考えがよぎったけれど、それも違うだろう。なぜならば少年の顔に悦びの表情のひとつも浮かんでいないから。
 でもやっぱりあのガキはアホだ。回復を蹴るだなんて。そう思った瞬間だ。空気がかわった。
 痛みさえ感じる、これは殺気だろうか。かの少年から感じるそれは"目に見えて"少年と鬼を包んでゆく。


 『黒』が、『闇』を、包みきった。


 どくり、と鼓動の音でやっと我に返る。汗が背中を伝う。彼は慄然としていた。
 ひとつしかと呼吸をして、周りを見やる。ざわついていた。いやそれはさっきもだ。―― そうだ、この大人どもは知らないのだった。鬼退治が使う大技の威力というものを。 時にこの交差点は、業火の海、氷河の森、真空の郷と化すのだ。恐ろしい予想はもっとある。 それを、この大人どもは知らない。
 彼はぐっと眉間に皺を寄せ、忌々しそうに大人の背中を掻き分けていく。魔術師の少女と合流しなければならない。 おそらくこの状況で、少年以外にいる鬼退治は彼と少女だけであろうから。
 こんな大人どもは、本当は見殺しにしたって構わない。 けれど、その罪を鬼退治――子どもに着せられるなんて許せなかったのだ。 だから離さねばならない。この交差点から。せめて十メートル。
「サツキ!」
 この期に及んでまだ名前を呼んでやがった。おかげではやく見つかったのだけど。 稲穂色の髪の眼帯を左目に当てた少女が、右目を涙でいっぱいにして崩れ落ちそうになっていた。
「おい!」
 声をかける。少女はびくりと肩をすくませて、ゆるりと振り返った。
「だ……だれ……」
「ちぃっと今からあんさんらに悪いこと言うわ」
「え?」
 すっと息を吸って大人どもを振り返る。叫んだ。
「逃げろー! "欠けた者"の大技に巻き込まれるぞぉー!」
 どより、大人どもが一瞬静かになる。彼は予想通りの展開ににやりと唇で弧を描いた。
「死にたくなかったら逃げろー! 巻き込まれるぞー!」
 四方八方からどよめきと悲鳴が聞こえる。あともうひと押しと言ったところか。 まったくなんて情報に左右されやすいのだろう。ありがたいけれど。
 少女をちらりと見ると、こちらを見て茫然としている。涙はこぼれてしまったようで、もう溜まってはいなかった。 顔を真赤にして泣きそうには変わりがない。新たな涙は生成されていないようだ。
「逃げろー! 逃げろ! 死んじまうぞぉー!」
 すでに人影がちらほらとしか見えぬ交差点に、巨大な椀を伏せたような黒が残る。 鬼もろとも、サツキという少年が中にいるはずだった。サツキが喰われていなければ。
「あ……あなたは……」
 震えた声で、やっと少女が口を開く。胸元で固く手を組んでいる。西洋の方の祈りのポーズと似ていた。
「安心せえ、俺も鬼退治や」
 その言葉に、そうじゃなくて、と少女が首を振る。厳しい表情にかわる。
「どうして、あんなこと……」
 言ったの、と言う前に訂正に入る。社会的な意味で助けてやったのに、ヤな奴扱いされてたまるか。
「演技やて、演技! あのサツキっちゅーガキのこと、大人どもみてぇな目では見てへんよ。 ……物わかりの悪い大人どもを追い払うには、さっきみてぇにすんのが一番かって思ったんや。 悪いこと言うたって思っとる、すまん」
 傘をくいと下げて、謝罪の意を示す。嘘は言っていない。 たしかにサツキのことはアホだバカだと思ったけれど、それは対等の立場で見た時で、だ。 人間以下の存在だとは思っていない。以上でもない。少女を見ると、複雑そうな顔をしていた。
 巨大な椀を見る。すでに技が収束してもいいころだろう。
 長くて、技の形成に三秒。発動に五秒。収束に二秒。そんなものである。

 これはなんだろう。血の匂いだろうか。口の中がカラカラだ。わけもなく声が漏れた。
「要らぬ……」
 こんな味、こんな匂い、こんな感触、こんな色、こんな音……五感を憎んだ。いらないと口が勝手に動く。 ただ手は動いていた。要らないものを葬るため。闇を葬るために。 鬼の声が耳元でする。すぐにそこに刃が煌めく。見える闇のすべてを斬り伏せた。
 数は確実に減っている。
 けれど、まだいる。
「要らぬ……ッ!」
 息切れが聞こえる。自分のものだ、そうだ、わかっている。なのに、うるさくてたまらない。 衣擦れさえうるさい。間接が嫌な音を上げた。無理をしすぎたか。筋肉が切れる音がする。 骨が折れる音がする。ああもう嫌だ。こんなもの要らない。
 とどめを、そんな声が聞こえた気がした。

 サツキはキキを地面に垂直に構え、憎悪のすべてを叩き込むようにその技の名を唱えた。
「漆刀……!」
 黒が黄昏に飛び散った! 黒は闇を突き刺し飲み込む。 苦しむような鬼の声が交差点にこだまする。サツキは地面に突き立てたキキにもたれてその様を見ていた。
「ははッ……」
   いい気味だ。もういなくなった。それを確認して、サツキの意識はふつりと切れた。


「サツキ!」
 ミツリの悲鳴がかった声がサツキの名を呼ぶ。技が発動したのだ。 椀が冠の形に広がり、爆散。飛び散った墨のようなものが針となって逃げる鬼を突きさしてしとめる。 ――なるほど、こういう技か。
 技を使った本人が刀にもたれて意識を失っているように見える。祈りを捧げているようにも見えたけれど。
「体力温存しときゃあよかったもんを……」
 呆れた声音を聞き取られたか、ミツリががっしと彼の半被の袖を掴み、叫ぶ。
「お願い! サツキを助けて! あの子あんなところにいたら鬼の残党に……!」
「わかったわかった、せやから掴むんはやめてーな」
 ミツリはハッとして、袖から手を放す。そして口早に言った。
「もしもの事があった時、あなたを回復したいのです。お名前と――許可を」
 彼はきょとんとして、ニヤリと笑った。
「そないな事になっちゃ困るなァ……。ま、名乗るくらいはしたる。――中大兄ショウ、や」
 彼――ショウは、長槍を水平に構え、黒の中心にいる少年の元へ走った。




ショウ登場回。さしみ組やっとそろったー! しかしながら関西弁がアホみたいにへたくそですみません。すみません。ショウはエセ関西人です