第五話 【其々の午後】


 暗い。
 何があるのか、何もないのか、それもよく見えない。……これはなんだ?
 感覚があやふやで、暑いような寒いような。けれど生ぬるいような、気がした。 わからない、わからない。わかるのはとにかく、暗いということ。
 ぐらぐらと不安定なその感覚は、俺にとって苦痛でしかなく、ひどく吐き気がした。


 木目が見えた。ああ、そうか天井だ。……どこの?
「ン? 起きたか、おはよーさん」
「……誰だ、お前は」
 まだぼやける思考の中、聞き覚えのない声が響く。若い男の声だ。起き上がって目を瞼をこする。
「……誰だ」
 やはり知らない顔がそこにある。切れ目の黒髪。顔だけで人を判断するのはどうかと思うが第一印象は最悪だ。 きっとアンズよりも性質の悪い人間に違いない。要は悪人ヅラというわけだ。
「なんや目覚めて第一声がそれかい、可愛げないなあ……。まあええわ。 俺は中大兄ショウ。ああちなみに苗字は中で大兄はミドルネームね。わかるぅ? ミドルネームって」
「知っておるわそれくらい。名前はわかったが何者だ」
「私たちと同じ鬼退治だよぉ」
 突然聞こえた声に振り向くと、ミツリが握り飯と麦茶を乗せたお盆を持って立っていた。
「これ一応、ショウくんと私用に作ってきたものなんだけど、私のはいいや。サツキ食べて」
 カチャカチャと音を立てて、サツキとショウの間にそれを置く。
「お前のものなんだろう、お前が食えよ」
 そう言うと、ふるふると首を振る。このお米は鬼を退治した報酬だから鬼退治みんなのものよ、と。 言って、しかもミツリは立ち上がってそそくさと襖の向こうへ行ってしまったから、 もう食べるしかなかった。たしかに腹は空いていたから。
「俺までもらってええのー?」
「どうぞー、ショウくん宛の報酬でもあったんだもの」
「ああ、それもそうやな。おおきにぃー」
 襖越しに会話をする。サツキが寝ているうちに、ショウと名乗る男はすっかりミツリと打ち解けてしまったようだ。 ならば俺を置いて二人で鬼退治を組めばいいのに。サツキは思うが口には出さない。 もくもくと握り飯をむさぼった。

「お前さん、なんも訊かへんのん?」
 食べ終わってなお、布団の中にいたサツキは、布団を片付けに入ろうとしていた。 そこに唐突に、ショウが問いかける。
「なにが」
 問いに問いを返すことはあまり褒められたことではないが、内容がわからないのだから訊き返すしかない。 サツキは布団を片付ける手を止めて、そういえば初対面の相手の顔を改めて見る。 あぐらをかいて無駄に大きな背中を丸めて、ショウもこちらを見ていた。
「何って、そりゃあ俺のこと。俺やったら訊くんになぁーて思てな」
 おかしな日本語を使うやつだ。方言だろうか、慣れないイントネーションだった。
「俺は貴様に興味がない。興味がないから貴様のことなど何一つとして知る必要はないな」
 まくし立てて布団の撤去作業に戻る。 ショウは黙っていたがおそらく面食らった顔をしているのだろう、なんやそれ。と小さく聞こえた。
「おめぇ……しっつれいなやっちゃなあ」
「はっ、知らん。そんなこと」
 お前のような悪人ヅラに対して敬意なんて持てるか、とサツキは思ったがやはり口には出さない。 興味のないやつと興味のない喧嘩をして何になるというのか。
 無視して布団を片付けるサツキに、ショウがしかめっ面をつくる。
「じゃあ別のこと訊くわ。おめぇ、自分がどうしてここで寝とったんか覚えとるか?」
「……鬼と、交差点で、戦って……、…………」
「ホーラ覚えてないィィー!」
「うるさい貴様に訊いたところでわからんだろうから言わなかっただけだ!」
「あっそう」
 でもお前をここに寝かせたんも鬼の残党片付けたんも俺やで〜、と悪人ヅラが笑う。
「……鬼は残さず俺が片付けた!」
「覚えてへんくせにエッラソーに! 残った十数個は俺が滅した!」
「嘘つけこのチンピラ野郎! 鬼退治でなかったら部屋から叩き出しているところを!」
 その言葉にきょとんとして、悪人ヅラはしばしば首をかしげた。
「なんや? 鬼退治だと手ェ出されへんのか?」
 そう言われればそうだ。サツキも己で言ったことにすこし頭をめぐる。 鬼退治だからといってこの部屋を追い出さない理由にはならなかった。 なぜならサツキが金を払ってとった宿だからだ。
「……べつにそういうわけではないが、……そういえば、何故だ?」
「頭大丈夫?」
「うるさいお前よりマシだ」
 なんやの嫌味だけは口まわるんやな! と悪人ヅラは喚くが別にそういうわけではない。 口からでまかせを言うのは立て板に水なのだ。思ってもいないことだからさらさらと流れ出る。 ……待て待てさらにおかしい。これでは目の前の人間に対してなんの悪意も持っていないようではないか?
 実際そうかもしれないが、なぜだかそれを認めたくはなかった。

 この後、ミツリが新たな握り飯を拵えてくるまで沈黙は続いた。


 昨日、ここで戦いがあった。
 大和の臍とも呼ばれる愛の都、中心部。大きな交差点だった。 すでに大きく削られた道路は補整されて、日常の風景が戻っていた。 よくよく見れば小さな痕跡こそあれど、それは些細なものでしかなく、 人々はここで昨日あったことなど忘れてしまったようであった。
 チッとわざとらしく舌打ちをする。
 舌打ちの犯人は少年だった。ただ少年と呼べるのかわからぬほどに背は高く、けれどやせ細った少年だった。 長い金髪は下でひとつにまとめ、目立たぬように黒の帽子で隠していた。 中のシャツ以外はすべて黒の、怪しげな少年だ。
 けれどそんな褒められた格好をせぬ少年でもこの街ではなんの違和感もない。 そのことを示すように少年の傍らを似たような……むしろもっとひどい格好をした男性が通り過ぎて行った。 それだけ多くの人がおり、さらにその中に、不届き者やならず者の割合が多い街であったのだ。
 だから誰も舌打ちになんて気付かない。
 気づいていても、誰も咎めはしないのだ。

 かかわりたくない。かかわりたくない。かかわりたくない。

 そんな思いが渦巻く交差点――いや、街であるのだ。少年はそれにさらに腹が立つ。
 己のような"子ども"に"大人"は守られている、というその事実が嫌で嫌でたまらない。 何故なら子どもこそ守られるべき存在であるからだ。 すでに金の稼ぎ方を知っている己のような者はともかく、他の子どもはどうだろう。 このご時世、親のいない子どもなんてほとんどが路上での生活か裏の世界の住人だ。 この現状に大人たちが目を背けていることは、口にせずともこの国の誰もがわかっていた。 そんな子どもたちを救うべく"鬼退治"の制度が改革されたけれど、後見人のいない子どもは却下。 結局救われない子どもなんていくらでもいた。
 そう、己も含めて。だ。
 少年は思考を止めて、信号の色が変わった交差点を振りかえる。
 交差点の先の人間も、己の隣を通り過ぎる人間も、みな同じ目をしていた。


「ヨシスグさま!」
 純白の床と壁が特徴的な天井の鬼退治総本山、大江戸詰所。 源ヨシスグは己の執務室へと向かう廊下を歩いていたところだった。 そこに赤毛の忍の娘が駆け寄ってきたのだ。 どうした、と応えると娘は背中をピンと張ってヨシスグの顔を見る。
「先ほど、執務室にて電話がありました。北条元帥がこちらにお出でするそうでございます」
 北条、と聞いてヨシスグの表情は険しくなる。 あまり聞きたくない名なのだと前に言っていたことを娘は思い出し、鬼についての報告だそうです、と付け加えた。 仕事の話だから仕方ありまんよ。ということである。
「わかった。いつ着くのだ。奴の寺院からここはそう遠くないだろう」
「はい、連絡によるとあと十分ほどで到着するとのことです。 それまでにこちらで用意してもらいたい資料があるとかで……」
「なんだ? 資料によっては急がねばなるまい」
 問いかけるヨシスグに娘はすこし戸惑いながらも、書き留めたメモを渡す。
「"鬼退治戦録"……? 何故、いまさらこんなものを」
「わかりません。ただ、全てでなく団体での戦録のみを用意しておくように、と」
 また不可解なことを。ヨシスグは舌打ちをして執務室へ向かう廊下を引き返す。
「図書館へ行かれるんですか?」
「いや、あそこは俺は把握しておらぬ。情報管理室。あそこなら資料丸ごとパソコンに入っているだろう」
 あーそういえばそうですね! 存在を忘れていました! と娘は笑うがそのすぐあと、はてと首をかしげる。
「……ヨシスグさま、機械お使いになれましたっけ?」
「…………お主よりはマシだと思うぞ」




ここまでが08年の時に描いた小説でした。次から漫画で更新したいと思ってます。 ……いつさしみ組が打ち解けるのか私にはわからない